2015年10月18日日曜日

「脱臼うさぎ」・・・四十九日に寄せて

USAKOさんが逝って、
人でいうなら・・人でなくとも・・・四十九日を迎えた今日。


9月6日以降、
UPもしない「脱臼うさぎ」へ思いもかけなく多くの方々が
お立ち寄りくださっていました。

生きることに最後まで一生懸命だった、
「脱臼うさぎ」のUSAKOさんという兎が居たということが
お目に留まってくれたこと、うれしく思います。
ありがとうございます。


本日は、四十九日。
母のわたしも四十九日ぶりにここへ来ました。
この画面を開きました。
一緒に過ごした時間は、決して忘れられないものです。
思い出の一区切りとでもいうのでしょうか。

あっという間の四十九日。
まだまだ気配たっぷり、
何につけてもUSAKOさんに結び付けている日々を過ごしています。

少しずつ、すこぅ~しずつですが、「鼻ツン」が減ったような。
そんな母を空から見て


☝・・・なにか「ほっ!」って顔しているね。




2003年9月23日に生まれ、
左足『脱臼』という兎生のアクシデントに見舞われましたが、
なんのそのあと、元気にピョンピョコピョ~ンと
楽しい日々を過ごしていました。

結膜炎、膀胱炎、肺炎にもなりました。

膀胱炎から間もなく子宮疾患が判明し、子宮の摘出手術を受けました。

東日本大震災の年の2011年3月8日の事でした。

抜糸も終わっていないながらも、
縫合のツッパリもなんのそのとばかりに
部屋んぽでは元気にピョンピョコピョ~ン。

それから4年。
年齢を重ねても旺盛な食欲でした。

これならば、うさぎの世界での「長寿」記録を打ち立てるかも・・・と、
母のわたしは思ったものです。

それでもね、うさぎの神様は『お月様に戻るころあいよ』って。
今年の2015年、5月連休明け頃に、右肩のしこり。
歳をとって食欲の割には生体的に痩せてきたとは思っていたのですが。
背骨もゴツゴツしてきましたしね、
のど元のマフマフもここ2~3年見ることがなかったですしね。
だから、右肩甲骨の「やけに盛り上がっているなぁ」っというものも
歳のせいかと、筋肉落ちたせいかと思っていたのです。


子宮疾患で子宮摘出したときが8歳。
兎の8歳といえば人間ならば64歳(兎と人間の標準年齢換算表より)

それから4年。
USAKOさんは人間で言ったら90歳近くになっていました。

食欲旺盛な元気なおばあちゃんうさぎさんになっていたのです。

でも、わたしにしたら「かわいいかわいい娘」。

撫でるたびに、「背中ゴツゴツねぇ…お腹もたるんできたしねぇ。
おばあちゃんになっちゃったのね」と

でもねぇ・・・違いました。
歳をとって自然の摂理として痩せてきたせいばかりじゃなかったのです。
大変な病にかかっていたのでした。


右肩、肩甲骨のしこりが「悪性腫瘍」と判明した日
                2015年5月26日
それからの3か月の日々というのは、人間の日々なら2年分くらい。

骨肉種とも言われ、悪性細胞は、肺に脊椎に浸潤して行きました。
左脱臼足はもとより、右足も開帳肢を発症。
脊椎からの神経を侵していたのでしょう。
日に日に下半身麻痺の状態が重くなって行ったUSAKOさん。

それでも、それでも「負けませんれすよ!」と、
前足に豆ができるほど力を入れて、自分の下半身を引きずりながら
移動するUSAKOさんでした。(ラベルの開帳肢を参照ください)
食欲のほうも最期の最後まで旺盛振りを見せてくれました。

11歳と11か月8日。
12歳まであと20日余りを待つこともなく、
2015年8月30日、午後4時35分に旅立ちました。

虹の橋の向こう、お月様で12歳のお誕生日迎えたかな?


ペロペロしてくれないUSAKOさん。


USAKOさんのペロペロが、
USAKOさんの
不貞腐れたようなこんな姿が、
USAKOさんの換毛期の終わった綺麗なお顔が、


母の邪魔をして新聞の上にどっかり座った悪戯USAKOさんが

         恋しいです。




本日も、お立ち寄りくださいましてありがとうございました。




上記を「脱臼うさぎ」のタイトルのブログに更新としてUPするか
それとも「つぶやき・・・」のほうへUPするか迷いました。

USAKOさんの新しい画(え)もないし、
もうこちらに更新することもないのではと。

それでもこちらにUPしたのは、
USAKOさんへの供養と思っていただければ幸いです。

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