USAKOの最期の映像を入れようかどうしようかと
迷いました。
「最期」の映像なんて見たくない!見なくていい!と
思われる方もいるはずです。
USAKO自身、見てほしくないれすって、言っているかもしれません。
わたしとUSAKOの二人の「最期の最後の時間」でした。
わたしの目に焼き付けて、胸の中の思い出の引き出しにしまいます。
8月30日。
昨日に比べらた食べる力もないUSAKOさんです。
食べようとする『気持ち』はあるのです
だって、もっと生きたいから・・・・
朝、潰しバナナを鼻先で確かめただけ。
「DAKARA」もペロペロできません・・・・シリンジを使う?
滴るような水を含ませたガーゼでお口周りを拭いてやるだけです。
8月30日16:30過ぎ、呼吸が怪しくなってきました。
痙攣をおこしました。
痙攣が収まって、母の腕の中。
数回呼吸を・・・・「はーふー」。
16:35。USAKOさんは旅立ちました。
16:36
16:40
16:51
16:55 もちろんまだまだあったかいのですよ。
18:23 エプロンの中に入れてしばらく話しかけて・・・
どこかにスイッチオンがあるんじゃないかって。
どこにもありゃしませんでした。
USAKOさんの体温感じるので、エプロンに入れたまま、
ゆりかごのように、赤ん坊を寝かしつけるように体を左右に揺らし、
USAKOさんの背中をトントン。
「いい子だね、ゆっくりネンネしなさいね。
うさ子がもういい、いやだって言うまで母さん、抱っこしているからね」
って。
20:00すぎ
ネンネしてもらいました。
お腹すいたかもと、お夜食に紫蘇をやったんですが、
食べてくれないんです。
母はただただ、どうしてかなぁって言う感じです。
まだ温かいし・・・・
この夜は母と一緒にネンネです。
8月31日
朝になって、「おはよう」と声をかけても起き上がりません。
スイッチオンって言っても動きません。
「もしもぅ~し」 「ほら、あさごはんですよ」
USAKOさんたら、うれしそう・・・・朝ご飯、いっぱい食べなさいね。
虹の橋を渡ってあっちで「庭んぽ」するときは、
リードをつけて リンリンって鈴鳴らしてね。
母に聞こえっるように鈴鳴らすのよ。
二番三番咲きのラベンダーを持たせましょうね。
一晩経って、USAKOを腕に抱いた・・まだ温かいような気がするし。
やっぱり母は探したのです。
背中・お腹のどこかに起動する【スイッチ】があるんじゃないかって。
スイッチオン・・・・・見つからない。動きゃしないねぇ。
そうそう、
えん麦スティックととテモシ―スティック・ドライフルーツ全部いれとくね。
牧草をお蒲団代わりに敷いとくね。
そのうえにフリースを敷いたから、チクチクしないでしょ?
四隅にペレット入れておいたから・・・・
虹の橋の向こうのみんなに分けてあげられるくらいあるからね。
ごあいさつ代わりよ。
「どうぞよろしく。仲良くしてください。」って、ちゃんというのよ。
足りなかったら取りに戻っておいで。
ペレットも牧草も未開封のまま置いて行ったでしょ?
虹の橋の袂まできっとコロンが迎えに来ていると思うの。
初対面?
大丈夫よ。
どちらも母の娘だもの。
すぐにわかるわよ。
USAKOさんを虹の橋の向こうへ送り出し家に帰ってきたら・・・・
USAKOさんの落とし物。 小さな小さな落とし物。
26日から満足に食べられなかったから、うんころも小さかったし、
量も少なかった。
小さな小さなうんころひとつ。
長い間「脱臼うさぎ」へご訪問くださいましてありがとうございました。
来月、9月23日の誕生日を迎えることはできませんでした。
12歳になって13歳の扉を開くつもりでしたが・・・。
11歳11か月と8日。
USAKOといた12年間、楽しかったです。
うさ飼い初心者の母でした。
おっかなびっくりの毎日でした。
長年の「左足脱臼」に加え、この春から肩の悪性腫瘍と開帳肢という
身体的不自由さが加わり、 つらかったと思います。
でも一度も弱音なんかは来ませんでした。
モリモリパクパク。
どんなに体の移動に不自由さが出ても、食欲は旺盛でした。
それが8月25日を境に「食べたい」のに食べられないという、
状況になりました。
腫瘍が肺を押しつぶしてきました。
呼吸が荒くなりました。
苦しそうな口呼吸。
もういいよ。がんばったね。って。
頑張り屋の「脱臼うさぎ」は2015年8月30日16時35分。
虹の橋へ向かいました。
皆様からも「がんばったね」ひとこと言って下さいますか?
「USAKOさん、頑張ったね、強かったね」って。
USAKOにとって何よりのはなむけです。
悪性腫瘍の細胞診をして下さったK動物病院長、
担当医師、スタッフさんから『うさこちゃんへ 供花』をいただきました。
(うさぎ柄の包装紙)
敢えて病院名は出しませんが、 メッセージカードに 病院のマークを勝手に貼らせてもらいました。 |
USAKOとわたしにとって、ここ数か月のお付き合いではありましたが、
とても親身になってくださり、丁寧な診察と説明。
手術しないという決断をしたのはわたしですが、
親身に話を聞いていただいて、
萎えそうになる気持ちを支えていただきました。
掛かりつけのH先生、おおらかな気もちで接していただいて
最期をありがとうございました。
USAKOへ立てる蝋燭は季節がらコスモス柄の花蝋燭。
9月2日 覚書より
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★いただいたコメントの返信 (2015.9.5 am4:14 追記)
*チーママさんへ
虹の橋の向こうの「女子会」に入会しているかしら?
素晴らしい子を遣わしてくれたうさぎの神様に感謝。
そう、いつか私たちも娘たちと「女子会」しましょう・・・か。
まだまだ鼻をグスグス目はウルウルしている母です。
ありがとうございました。
*momoさんへ
コメントありがとうございます。
お立ち寄りいただいていることは、USAKOもわたしも知っていましたよ。
獣医さんの件で遠くまでこれたんでしたよね。
「娘」のためならみんな一緒だなぁって。
季節は変わります。
momoさんも体調を崩されませんように。
*りんママさんへ
花丸頂いて、うさこもニッコリしていることでしょう。
身体も楽になって、りんちゃんと走り競争しているコロンの背中に乗って
「女子会」にお出かけしているかも。
うさこの依頼・・・・ありがとうございます。
*momopyonbabaさんへ
USAKOは、もうモモちゃんに会ったかしら?
「抱っこ嫌い」でしたよね、USAKOは。
覚えていてくださいましたか。
最期のエプロン抱っこは、文句も言わず、嫌嫌もせず、
何時間でも抱っこされていました。
この時ばかりは「いやだいやだ」って言ってくれることを
願った母でしたが・・・・
babaさん、ありがとうございました。
*Edyさんへ
シナモンちゃんや大ちゃんの様に、虹の橋を渡りきるころには
脚もきっと不自由なく、ピョンピョコピョ~ンと
跳びはねるようになったのだと思います。
うさことともに素敵な12年を過ごしました。
ありがとうございました。
5 件のコメント:
うさこちゃん またね また会いましょう。
おばちゃんもそのうちそちらに行くから、それまでうちのユキやこゆきと遊んでいてね。
コロンちゃんと仲良しこよしで、かーさんを待っていてね。
いつかは会えると思うから、だからゴールするのも怖くはないなって、そしてちょっと楽しみだったりするおばちゃんです。
本当に本当に、うさぎの神様は素敵な娘を遣わしてくださいました。
立派に神様のお遣いのお役目果たしたから、胸を張ってほめていただきなさいね。
初めまして。
momoといいます。チーママさんの所からこっそり伺っていました。
よわっち先代うさぎ娘のお世話で心が折れそうになったとき、
うさこちゃんとうさこちゃんのかーさまから勇気と元気を頂いていました。
今日帰宅して拝見した「がんばりました」に心がざわついて、今さっき伺って涙が止まりません。
(何度かコメントをと思いながらできず仕舞いで、初コメがこんな時だなんて、なんて間の悪い私です。)
頑張り屋さんのうさこちゃん、えらかったね。
うさぎの逞しさ、賢さをたくさん教えてくれてありがとう。
「生きる」ってことのすばらしさをたくさん見せてくれてありがとう。
もうお月様に着いたかな?体が楽になって、ゆっくり楽々しているかしら?
ぴょんぴょんぴょーんって運動会をしているかしら?
チーママさんのユキちゃんとこゆきちゃんに会えたかな?
我が家のぴょんとも仲良くしてやってくださいね。
うさこちゃんのご冥福をお祈りしております。
うさこちゃんのかーさま、どうぞ、どうぞ、お大事に。
USAKOちゃん、最後までよく頑張りましたね。(大きな花丸)
お母さんに抱っこされて、お姉ちゃんの分まで親孝行しましたね。
お母さんの涙タンクは、寂しくてまだまだ溢れているから、
おねえちゃんのコロンちゃんと一緒にいてあげてね。
うさこの母さんも最後までUSAKOちゃんと一緒に頑張りましたね。
痛くないように苦しく無いように。
最後の時を一緒に過ごせるように。
孝行娘は、約束を守ってくれましたね。
エプロン抱っこもしてもらいましたね。
USAKOちゃんからお母さんへプレゼントのご依頼を頂きました。
これからは、いつも一緒れす♪と申しておりました。
「USAKOさん、頑張ったね、強かったね」 本当にその通り最後までやりぬいていたね。 抱っこぎらいなあなたが最後はお母様のエプロンに包まれて長いネンネについた親子孝行娘さんだったね。 USAKOさんとお母様と出会ってから6年の間本当に毎日が楽しかったブログを見るのが喜びでした。 虹の橋に行ってもグラビアモデルを続けて、時折、ニュースを知らせて下さいな。 babaもモモを向へに行きますから、きっと会いましょうね。
USAKOさん、ついに、この日が来てしまったんだね。
12歳の誕生日は目前だったんだね。本当に、よく頑張ったね。
最後の最後まで頑張り抜いたのは、大好きなお母さんと1秒でも永く一緒に居たかったからだよね。
お母さんの優しさを一瞬でも長く味わっていたかったからだよね。
愛情を一身に受けて幸せな幸せな12年間でしたね。
でも、今でも、そしてこれからも、USAKOさんはお母さんと一緒だよね。
病気も怪我も治り、天使の羽をつけてお母さんの傍で見守っているよね。
そして、もしもどこかでシナモン大福親子を見かけたら、「食べ過ぎるなよ」と
注意してやってね。
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